eps.3 ブルックリンの畑

19世紀中頃に全盛期を向かえた「タウンハウス」.外壁に砂岩素材を左官し レンガで造作を施した「ブラウンストーン」と呼ばれる建築.ひとつの物件の構成は、地上3階、半地下1階、地下があり、ブルックリン中心地に密集している.

貸部屋の入口は階段下の半地下. 2つの部屋とキッチン、バスルームがある. 奥の部屋は半地下ではなく、地面と同じレベルになっていて、全部屋の3倍近くある庭に面している.

1989年、私はニューヨークのブルックリンに住んでいた。周辺は比較的若い白人のカップルが 物件を購入し、半地下のフロアを貸し出してローンに充てるのが流行り出したエリアだ。運良くそれを借りることができた。歩道には樹木がびっしりと並び、マンハッタンから帰ってくるたび癒された。
近所にむき出しのガーデンがあり、癒し効果はさらに高まった。でもよく考ると不思議な光景だ。なぜかというと、歩道に面して土があることはなく、地面やガーデンは裏庭と決まっている。どうやらその土地には建物があった歴史はないようすだ。

筆者が住んでいたニューヨーク州ブルックリン(行政区)クリントンヒル(町)セントジェームス・プレース. 2022年版Googleストリートビューより

調子っぱずれなそのガーデンは、やがて大きな葉っぱを密生し始め(後に野菜のカラードグリーンズと判明)、トウガラシのような実をつけたり、奥には背が伸びてきたものも見える。
そうか。作物畑だったのか。
このニューヨークの歩道脇で、いったい誰が...。
カラードグリーン. 小ぶりな葉でもウチワほどの大きさ. 生では食べない. ソウルフードに欠かせない野菜.
ある日、成長を遂げた作物の中に黒人の老女がいる。最初はお互い軽くうなずく程度だった。 やがて、「ハワイドゥーイン?」「ハーィ ママ? アムグッ」と声をかけ合うようになった。
週に一度ランドリーに行くため畑の前を通る。ママに出合う機会は少なく、月に一度あるかないか くらいだ。作物の間に大きな柄のムームードレスと白いチリチリヘアを見かけると、心がなごんだ。
ママの畑跡地とマルベリーの木. 樹木はニューヨーク州に属する. 歩道に植えるはずが、ズレた場所になったまま放置されたと思われる. 2022年版Googleストリートビューより
時おり夏の風が吹くころ、畑の入口に立つマルベリーの実が熟し始めた。ふたりでその巨木を見上げ、煮込んで肉料理にかけたり、トーストのジャムに思いを馳せながら、実が落ちるのを待ちわびた。
それら一連の光景は、体の奥深いところの記憶を呼び起こすトリガーのようだ。何を思い出すというわけではなく、自分はどこから来たのか思い知らされる、そんな感覚だった。後に理解できたことだが、自分のアイデンティティが形成されるサインだった。
社会参加して8年目に経験したアイデンティティは、サンフランシスコのエロイーズから始まり、マンハッタンの老人たちに触発され、ブルックリンの老女と畑によって、その基礎が確立された。
アリメカに骨をうずめるはずの人生は、場所や職業にこだわらない柔軟な思考へと変化し、現実を受け入れ今を生きるという、万能パスポートを授かったのだった。